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machidatetsuya

僕の発想法は基本的にはやっぱり断片的。それで、その断片をどう並べるか。ヌーヴェル・ヴァーグのモンタージュは、断片断片の素材で撮っていって、編集でつくるわけだけど、あれに近いと思う。モンタージュする時に、既成の起承転結的な音楽パターンにすることも出来るし、きれいに並べないで、わりと素材のままダラッと放置することも出来るし。

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眼鏡を額にずりあげ、服も顔も煤で真っ黒になった機関士と運転手が、釜焚きデッキの手すりに肘をついて、縁の赤くなった目で、目の下の男女のぼんやりとしたうごめきが横に滑ってゆくのを眺めていたが、ながい軋み音をたてて列車のつらなりが動かなくなると、それも動かなくなり、どの顔も彼らを見上げ、時に子供を腕に抱いたりして、列車が停止してだいぶたってからも、いつもの突進とちがって、一種の疑いぶかい茫然自失、疑いぶかい狼狽といった表情で、客車の茶色っぽい脇腹を凝視しつづけていた。

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現在ほど、詩ーフォームと言っても良いーが大事にされなければならない時代はないだろうと思う。新しいことばが次々に生まれている。だが、輪郭の定かでないことばが氾濫しているに過ぎない。日常人間が使っていることばは、細胞が分裂するように分裂して、ことばのもつ全的な機能を果たせなくなっている。

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音は消える。ちょうど印度の砂絵のように。風が跡形もなく痕跡を消し去る。だが、その不可視の痕跡は、何も無かった前と同じではない。音もそうだ。聴かれ、発音され、そして消える。しかし消えることで、音は、より確かな実在として、再び、聴き出されるのだ。

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映画は、記号とイマージュのアレンジメントです(サイレント映画でさえも、やはり言表行為の様々なタイプを含んでいる)。私が映画について試みているのは、映像と記号の分類の作業です。例えば、運動イマージュがまずあり、これが知覚イマージュ、情動イマージュ、行動イマージュに分けられます。もちろんもっと他のタイプのイマージュもあるでしょう。それぞれのタイプに、様々な記号、声、言表行為の形態が対応するのです。こうして巨大な分類表が必要になります。様々な巨匠たちが、それぞれ独自の傾向をもってこれに参加しています。

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高浦が殺されたのは、そんな辻ではなかった。殺されたのでもない。夜更けの道で通行人に言いがかりをつける若い者をたしなめたところが取り囲まれた。四人いた。掴みかかって来たのを一人は肩透かしにして一人は足払いをかけた。そこまではごく冷静に見えた。気おくれした連中に取りなしの言葉をかけて去ろうとした。ところが、それで安心したのか、重立った一人が及び腰から、卑しい悪態をついたそのとたんに、高年の同行者の話したところによると、高浦は忿怒の形相になり、逃げる機をなくした相手の前にゆっくりと近づき、手の出る前に、崩れ落ちた。

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モノとレンズ、外見と技術、光の物質的性質とカメラの形而上学的複雑さ、これらの間にある沈黙の共犯関係を、意味やヴィジョンを介入させることなく、自由勝手に遊ばせること。なぜなら、モノのほうこそがわたしたちを見つめ、わたしたちを夢見ているのだから。世界がわたしたちのことを反映し、世界がわたしたちのことを考える。これが根本原則だ。

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