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たしかに疑いないのは

たしかに疑いないのは、漱石が「愛」について書いたことだ。つまり、互いに他を裸にしてしまう出口のない世界を書いたことである。いいかえれば、「恋愛」というものには、北村透谷がみぬいていたように、極度の観念的(宗教的)転倒がひそんでいるのであって、それをまともに追求すれば漱石のようにならざるをえない。「恋愛」は自然でも何でもないのだ。大衆文学が描いてきたのは、「恋」でも「愛」でもなくて、自然化した恋愛観念にすぎない。「恋」を書くためには、むしろ「近代文学」を転倒するような意志を必要とする。年をとるとなくなってくるのは、まずそのような意志ではないのか。
ー異言としての文学/反文学論/柄谷行人